語る。そして、死す。

語る。そして、生きる。

2024.4.30

17:00頃

疲れた。とにかく私は疲れている。

午前中は子が風邪をひいたので病院に連れて行った。

軽い風邪だけど、子の体調不良は私の精神がやられる。

子が咳をしただけでドキリとしてため息が出る。

 

私には発達障害の診断がついている。

発達障害の人は疲れやすく、それを易疲労性と呼ぶらしい。SNSで見かけた用語なので曖昧ですが。

 

偏った脳の働きは疲れやすさを呼ぶんだろう。

自分で意識してバランス取る工夫をすれば疲れやすさは減るのかもしれない。

 

疲れやすいことすら脳の特性の副産物なら、それも今の私だと受け入れて生活をこなしていくしかないと思った。

 

それでもご飯の支度の時間は憂鬱。

なかなか動き出せないでいる。

2024.4.26

14:00頃

今日は心療内科通院日。

主治医とのおしゃべりは楽しい。

具体的な悩み(倦怠感や鬱、子育て関連)よりは抽象的な話がしたい。

 

ホルモン的なものもあって今日は一段とだるい。

目も半分くらいしか開いてない感覚。

いつもより目に力がない。

しょうがない。

 

 

2024.4.25

13:45頃

ここ2ヶ月くらい無理がきかない。

動けなくなってから無理していたことに気付く。

繰り返し。

今日もだるい。昨日もだるかった。

私にだるくない日は来るのか?

20年くらいずっと、だるい日はこんな感じで動けない。

年々、1年の内だるい日の割合が増えて行く。

比較的動ける日に無理して動く。

動けなかった日を取り戻すように動く。

それがいけないと言われても、やる事はあるし、やりたい事だってある。

 

でも、撃沈して鬱になるのが怖くて心休まる日がない。

鬱になるのが怖くて休めないってなんなんだか。

 

とにかく、鬱でも出来る事はやる。

出来る事だけね。

出来ない事はどんなにひっくり返っても出来ない。

その言葉を自分に言い聞かせる毎日。

 

いつか死ぬ瞬間が来るまでは生き延びていたい。

 

17:00頃

そろそろ夕ご飯の支度しないといけないと思うと、一気に気分が悪くなる。プレッシャー。

体調悪いと冷凍食品とかレトルトとかになってしまうから、子にも大人にも良くないかな?とか考え込んでしまって気持ちが塞ぐ。

 

子が美味しそうに食べててもなんだか罪悪感。

誰に聞いても今どきの冷凍食品やレトルトは優秀だとか、大変な時はレトルトに頼ってもいいだとか、みんな優しい言葉をくれる。

 

私の罪悪感は私からの裁きだから、私が止めないと私による私イジメは終わらない。

 

分かっているならやめたいところだけど、癖を抜くのにはもう少し時間がかかるみたい。

 

病気から脱するために何かに取り組んでいる感じがないと病気すら受け入れられない。

 

治療してる感じ。

ニュアンスだけでいいから、何かに取り組んでいる人という称号が欲しい。

 

私はこんなだけど、家族が元気なのは救い。

2024.4.24

14:45頃

 

今日も朝は起きられない。

息子を送り出すために一度起きたが、何も食べたくないし身体もだるいのでまた寝た。

夜は一応寝ているので、二度寝は浅い眠り。

 

息子帰宅後、シャボン玉をして少し遊ぶ。

それにしてもだるい。

この倦怠感は疲労感からくるもので、肉体というよりは神経的な疲弊からくるもの。

 

とにかく神経を休めたいのに夕ご飯のことを考えたりして憂鬱になる。

この繰り返し。

 

少し先のこともその時のことはその時に考えるようにしよう。

 

何か自分に対する信頼が危うい。

もう自分を信じるしかないところまではきているので信じることを受け入れるしかないのだけど、信じることはやっぱり怖い。

 

 

2022.4.23

回らない頭でタイトルを考えるのが難しいので、日付にする。

 

11:30頃

 

今日も起き上がれない朝。

起きてから1時間くらい布団の中。

起きた瞬間から自責の言葉が脳内で勝手に羅列される。

死にたいとは全く思わず、むしろ生きたいのに苦しいからもがいている。

 

生きたいはもちろんだけど、生きづらさを減らしたい。

生きやすさを目指すのはハードルが高い気がする。

 

今日も生きづらい私を引きずって家事をしなければならない。

 

21:30頃

昨日から今日にかけて夫、父と母にそれぞれ話を聞いてもらった。

三人とも同じ話を聞いて同じことを私に言った。

 

それは信じられるものだった。

なぜなら三人が言うことは私が何度も鬱が来るたびに口癖のように言っていることだから。

夫も父も母も、私が私自身に言いたいことを代弁して言ってくれているだけだった。彼らは無意識に代弁してくれている。

 

私が私に言っても信じない。

私は私を信用していない。

 

それが一番苦しくて、一番超えたいこと。

 

今は比較的に気分は軽い。

 

 

 

実験開始の日

22:00頃

 

SNSをやる理由。

本当に言いたいことを言わないようにするため。

本当に言いたいことは私の中に留まっていくけど、それを口に出して良いものか悩む。

 

私が本音を口にしたら人は私を嫌うだろう。排除するだろう。見下すだろう。

もしかしたら攻撃してくるかもしれない。傷つけてくるかもしれない。致命傷を負わせにくるかもしれない。そうして死ぬかもしれない。

 

仮想敵からの攻撃に怯える心と本音で生きたいと渇望する心。

 

本音を語れる日は来るのか。

本音を語っても死なないのか。

 

本音は、本音を語りたい。

死にたくない。生きたい。

 

『語る。そして、生きる。』

 

そんな日は訪れるのか。実験してみる。

 

23:30頃

 

誰かに話しても話しても、話せば話すほど苦しくなる。

「こんなことを言いたいんじゃない」と思いながら口を動かす。

 

胃と喉の間の空間にあるモヤが喉に迫り上がってきて、それを出したくて出したくて下顎がむず痒い。

 

とにかく口を動かしたいので、ミックスせんべいを食べた。

口を動かしたいだけの暴飲暴食癖。

 

「本当のことを吐いてしまえば楽になる」と言われても、「本当のこと」が分からない。

 

私は何を言いたくて何を言いたくないのか。

 

鬱の日はダメ。